取調室 Ⅰ


 降りしきる雨の中、街の中心に位置した警察署では、取り調べが始まろうとしていた。
 一人の中年男が木製の剥げた扉を開く。口髭を蓄えた口元でパイプをふかし、肉付きの良い男は、頬杖を付いて悩まし気に格子の向こうの空を見詰める少年の前に腰を下ろした。澄んだ闇夜を写した瞳がゆっくりと其の姿を捉え、薔薇色の唇が美しく弧を描いた。
「ブエノスディアス セニョール。今朝はパルメラだね?」
 手錠の掛かったままの細い手が口元を軽く叩く。金属の擦れる小さな音が屋根を打つ雨音に新たな音色を加える。口髭を手で拭い、白い砂糖をそれとなしに落とす仕草に少年は深い漆黒の瞳を細めた。
「身嗜みは紳士の基本ですよ、刑事さん」
 其の言葉に然程反応を見せず、小肥りの刑事は手元の書類に一頻り目を通して行く。少年はその様子を気だる気に眺めながら、木製の机を指で叩いていた。頭の中で奏でている音楽があるのか。雨音と共に紡がれる小さな音は、まるで鼻唄の延長のようだ。
 貧相な音楽を存分に聞いてから、刑事は溜め息混じり言葉を漏らした。
「同じ質問ばかりで飽き飽きしているだろうが、俺も仕事なんでね」
 そう言って書類から離れた視線が、藍色の瞳を映す。
「何故、あんな事を?」
 少年は其の問い掛けに、待ってましたと言わんばかりの大袈裟な身振りで立ち上がった。
「またそれかい。だから僕は何もしちゃいない!あれは……そう、自滅だよ。僕はお皿のカスタネットを手に卓上で踊りを踊ったに過ぎない。かの有名な、フランス生まれのジプシーのようにね。当然の報いさ。其れが罪になると言うのなら、街一番の踊り子は逮捕するべきだし、可憐な少女も、美貌の青年も、他者の心を奪ってしまう者は皆逮捕されるべきだ」
 まるで役者のように、少年は我が身の潔白を謳った。しかし存分に嘆いたかと思えば、少年は不意に両手を前に出し、刑事に向けて小さく肩を竦めて見せた。
「だから、ね。釈放しておくれよセニョール。僕は、無実だ」
「それはできねえなあ」
 溜息に混じり、吐き出された白煙が黄ばんだ天井に立ち昇る。
「ああ、もう、このお硬いブルドッグはどうしてこうも話しが通じないんだ」
 部屋の隅に腰を下ろしていた若い警官に向けて少年は臭い田舎芝居を演ってのける。逮捕以来これが続いているのだから、二人はもう付き合い切れないと言った様子で顔を見合わせた。
 そんな冷えた反応に、少年は今しがた立ち上がった椅子に静かに腰を落とした。
「何度でも言うよ。僕はやっていない。其れが真実で、其れ以外は、そうだな。例えるならば────」
「例えなくてよろしい」
 再び始まり掛けた演説をぶち切ると、怪訝な顔が刑事に向けられた。
「刑事さん、良く言われない。貴方は詰まらない人だって」
 何故青臭い少年にそんな事を言われなくてはならないのだ。そう胸の内でゴチては見たが、其れを言葉にすればこの田舎役者の思う壺。至極興味の無い表情でパイプをふかす刑事の視線は冷たい物だった。だが少年は怯む事もなく、金属の音を響かせ再び頬杖を付いた。
「人生には潤いが必要さ。其れも、糸を引くようなね」
 恍惚の表情で空を見詰める少年に呆れ果て、刑事は徐に話を切り出した。
「ブルーナ、話しを戻しても良いかね」
 少年は其の白けた声に、途端興味を無くして爪先を弄り始めた。どうも彼は其の名で呼ばれる事が気に食わないのか、まるで自分が呼ばれているとは思っていないような素振りを見せる事があるのだ。其れがまた勘繰りな刑事を惑わせた。
「呼び方を変えようか、セシリオ・ブルーナ。君は、セルジ・アルバ、ホセ・アルバ、ロロ・アルバ、エヴァ・アルバ、そしてジョルディ・フェレイラ、放火により前述五名の命を奪った。其の容疑者として上げられた訳だが────」
 そこ迄言って視線を上げ、刑事は思わず息を呑んだ。先程迄にたにたと不気味な笑みを浮かべ田舎芝居を打っていた少年は、何故か薔薇色の頬を涙で濡らしていたのだ。其れは芝居だと言うには余りにも、純粋な悲しみに打ち拉がれているように見えた。
「セシリオ────僕は、彼を愛していました」
 ポツリと呟かれた言葉に、刑事は思わず傍らの警官と顔を見合わせた。
「セシリオは君だろう」
 恐る恐る問い掛けると、少年は俯いたまま小さく首を傾げた。
「そう、僕は、僕は……セシリオ。僕は────」
 虚ろな瞳がゆっくりと丸みを帯びた顔を捉える。
「刑事さん、僕は今、どちらなのですか」
 其の言葉に刑事は再び警官と顔を見合わせた。そして何かを察したかのように小さく頷き合うと、一度腰を浮かせ、椅子に深く座り直した。ギシと言う軋んだ音が、緊迫した小さな取調室の空気を一層張り詰めた物に成長させる。
「君の話しを聞かせてくれるかな」
「……僕の話し?」
「そう、生まれた時から、順を追って」
 長い睫毛を伏せて、少年は深く息を吐き出した。

 そして小さな禁断の箱の鍵を、ゆっくりと廻した────。